Friday, July 17, 2015

老師  先生、知識を教えることを超える

(Scroll down for Japanese version)
從小學起,在不同的求學階段,也有幸遇上很好的老師。和很多職業相同,這個世界上有很多良師,同時也有不少只為「搵飯食」的老師。我沒有研究過教育或老師這個職業的歷史,但對我而言,「老師」是很特別的工作,而他們的最終、最大的存在意義,或許不在於傳授知識。

當然,無可否認,知識是重要的。傳授知識,幾乎等同給予學生改變人生的力量。但,擁有相同知識的人,其實並不止一、兩位老師。大學教授當然做著特別的研 究,不時有獨特的發現。但普通課堂而言,的確不少老師也能勝任。然而,這並不是在說老師如機械人,可以隨時更換。反之,老師各自走過自己的生命軌跡,有著個人的魅力,以獨特的個性與風格去教學、甚或與學生培養關係。因著每個人、每位老師也是獨特的,每位老師在教與學的關係,也有其獨特之處,是別人模仿不來的。

今天跟日文課程的K老師聊天。坦然發享了最近的想法、感受、對信仰的感悟、這兩年的留學經歷等等。也受教於老師豐富的人生經驗與智慧。這位老師走過不 同的路,很會體諒別人的軟弱與難處,是一位打從心底溫柔的老師。坦白說,一般日文老師(又或是日本人)當然懂得我們這些中級學習者的文法與生字,換言 之,能執教鞭的人其實不少。但能運用著自己的經歷去感染學生的人,又有多少?

從小在香港受教育,這兩年略有在美國讀書的經驗,然後這個暑假參加了短期的日文課程。這只是我極為主觀、有限的觀察,但「老師」這身份,對香港人與日本人 而言,似乎與美國的一般期望頗有不同。(怪獸家長的奇特要求則另作別論,此處並不打算談及)在香港人與日本人的文化脈絡裡,老師不只是知識傳授者,還是帶 點mentor味道的人,於學生的道德價值觀、未來的道路探索等,似乎都扮演一定角色,又或被期望擔起一些角色。可能於這種文化氛圍成長之故,我始終認 為,老師的存在意義,真的不止在於教授教科書或公開試的內容;一個好老師帶給學生的影響,可以是一生的。

也因為好老師其實一點也不容易做,他們絕對值得尊敬。

這個日文課程時間不算長,但能碰到不同老師,當中有著十分珍惜與學生的對話的人。有此經歷,令我更想對自己的學習、將來的工作抱有熱情。雖然不容易,但這些老師的例子卻告訴我們,這並非不可能。


先生、知識を教えることを超える
この世に、情熱を持っている先生がいれば、あまり持たないみたいな先生もいると言えるだろう。けれども、教師、というか、先生という仕事は本当に特別だと 思う。私は教育や教師について研究したことが全くないので、次の意見はただの私の主観に過ぎないが、私にとって先生の一番大切な存在意義は、知識を伝える ことじゃなくて、口頭でも、自分の行動でも、人生の経験を伝えるということだ。

言うまでもなく、知識を教えることは学生に人生を変える力を与えることで、だれも否めないぐらい大切だ。だが、多分少し失礼な話だけれど、同じ知識を持っ ている先生が一人しかいないわけではないんじゃないかと思う。もちろん、大学の先生なら、自分独自な研究をよくしているが、普通の授業で教える知識は、多 分他の教師も持っているはずだ。とはいえ、先生とは、ロボットみたいで、だれでも知識さえ持てばできる仕事では決してないのだ。なぜなら、先生方はそれぞ れの人生の経験や、魅力や、教え方や、学生とのコミュニケーションのスタイルなども、全て独特だからだ。つまり、この世に、ある軌跡を歩んできて、自分の 経験や特徴や個性を生かして、学生に教えている先生はそれぞれ独特で、一人しかいないというわけだ。

今日は、K先生に色々話してもらって、この間の気持ちや、感じや、考えさせられることや、信仰などを正直にたくさん喋ったり、先生に深い考え方や面白い経 験を聞かせてもらった。気が楽になった一方で、やる気も湧いてきた。先生は見た通り、本当に優しくて、人々の弱点や 困難などに対して思いやりがあって、心から柔らかい先生だと思う。さっき書いた思いを当てはめて、考えてみたら、同じ教材を使って、中級学習者向けの日本 語の文法や単語を教えられる教師が結構たくさんいるけれど、K先生のスタイルのように教えて、学生にそういう影響を与えられる先生は、一人しかいないはず だ。

ところが時々、いい先生なのに、学生の個性や好んだスタイルにあまり合わないことがあって、思うように仲良くなれず、お互いに丁寧に接するものだが、もっ と深い交流がなかなかできない場合もありそうだ。それは残念だけれど、そういう難しい経験を経って、自分と気が合い、心から自分のことを話し合える先生や 学生との関係をもっと大切にするようになるんじゃないだろうか。

それに、私は香港とアメリカでしか勉強したことがなくて、今、日本で二ヶ月の日本語の夏期プログラムを取っている。面白いことに、個人的な経験や観察によ ると、東アジア、というか、香港人と日本人の文化の脈絡の一部の場合で、いわゆる「先生」の役割が知識を教えることだけじゃなくて、学生に適当な価値観を 築くの始め、自分の道を探すとか、将来へ進む自信を与えるとか、色々なことだと思われたという傾向が見えるような気がする。この通り、いい先生になること は言葉で表せないほど難しくて、教えるスキルばかり持っても、うまくいかないこともある。もっと深いことを学生の人生に残したいなら、そこで、情熱やコ ミットメントも持たなくてはならないはずで、本当に大変だ。すると、良い先生に出会えたら、その先生を必ず尊敬すべきなんじゃないだろうか。そして、私に とって、素晴らしい先生が学生に与える影響はきっと知識を教えることを超えられて、一生の影響も与えられるのだ。

最後に、この短いプログラムの間に、前学期でも、今学期でも、教えることや学生との交流を大切にしているU先生とK先生に偶然出会えて、日本語も、日本語 以外のことも、いっぱい勉強になった。それと共に、その先生方を見習わなければいけないとやる気も湧いてきた。その方から学んだ大事なことは、人間関係と 仕事に情熱を持つことだ。難しいけれど、その先生方のことによると、全然不可能だというわけじゃない。

No comments:

Post a Comment