「あなたは人生に奇跡を負ってる」(You owe life a miracle)と、ある香港人の牧師が出版した本の書名として書いてある。
最近、一つのことが私に付きまとっている。私が研究専門を変えたいということだ。専門を変えるっていうのは、今の専攻である近代中国の社会史から、清朝の商業史にする程度のものではなく、日本における人類学の研究に変えたいということだ。このずるい切望は、この数日前に急に飛び出しちゃったけれど、本当は、種子のようなきっかけが夏休みに、いつの間にか気づかない時にもう出てきたのかもしれない。
では、どうして最近、日本のことを研究したいという熱望を急に感じたかをいうには、その試験のことを話さなければいけない。
アメリカの大学院で人文科学を専門する学生は学校を問わず二年生や三年生の時に、必ずComprehensive Exam、あるいは、General Examという試験を受けなければいけないことになっている。一部の学部では、この試験の結果を重視しないが、一部の学部では、大学院生が勉強し続けられるかどうかこの試験の結果次第だと規制にしている。どちらにしても、試験では、学生にだいたい三つから五つの分野を選ばせる。なぜなら、自分の研究だけに関わってはいけなくて、将来、教える仕事のためには、必ずもっと広い分野も選ぶ必要があるからだ。
私の専門は近代中国の歴史なので、メジャーな分野(Major field)は、このトピックにしているが、二つのマイナーな分野(Minor field)は、日本における人類学研究と、中国の宗教の歴史にしている。三つの分野の読み物のリストは、それぞれ六十から九十までの本や論文がある。皮肉なことに、最近読み初めて、三つの分野の中で一番親しみがあり、情熱を持っていると感じているのは他でもなく、日本における人類学研究だと気づいた。
いろんな理由があって、学術的なことは別の作文に書いた方がいいけれど、とにかく、本当に本気に日本のことをもっと知りたい、日本語を勉強し続けたい、日本語を通して人間関係に繋がりたい、と。
何度も書いても、まだ決まり切ったコースから逃げられない?
専門を変えたいのに、どうしてまだ変えていないかというと、実は心配なこともあるからだ。まず、もう大学院の三年生だから、専門を変えるのはちょっと遅いかもしれないんだ。次に、将来の就職についての考えだ。卒業した後、香港に帰りたいから、そのためには、近代中国歴史を研究する方が、日本における人類学より、香港での就職に有利だと言える。つまり、専門が変わるのは、研究だけじゃなくて、これからの計画とも関係がある。
とはいえ、こういうことを考えつつ、前に書いた作文の内容を思い出した。この二年間の留学生活で、喜びや幸せと共に、色々な挑戦や問題を経験した。一部は一応乗り越えたけれど、一部についてはまだ頑張ってる。自分の反省や成長の記録として、よく日本語で経験や考え方を書き出している。この間、一番よく書いているのは、自分に合う人生を作るために、情熱やコミットメントや勇気を持ちながら、あまり遠慮せずに、行きたい明日へ進もうということだ。
あまり悪くないメッセージだと言えるかもしれないが、言うは易しく行うは難し。
先月、26歳になって、気になることの一つは歳をとればとるほど、何かを変える勇気が低くなっていくということだ。子供の時、人生に数限りない可能性があるように思っていた。「将来、宇宙飛行士になろう!」と、「いつか、ドラえもんを発明しよう!」と、ものすごく大きな夢だらけ。一方、「バスの運転手になりたい!」と、「マクドナルドで働きたい!」と、いかに小さい夢でも、やる気が湧いてきて、目に火が出た。
けれども、家族や人生の先輩の一言からか、ある失敗した経験からか、自分が思ったよりバカなように気がしたからか、「人生の全部の夢も実現できる」というわけが決してないと、悟った。また、いつか、現実世界のプレッシャーを感じて、生計のために、「音楽家になりたい」とか、「芸術家になろう」などの夢を諦めることにした。東アジアでは特に、周りから「いい成績を取れなくちゃ出世できないよ!」と吹き込まれて成長するからかもしれない。
それで、日々少しずつ、現実のことがだんだん分かってくるにつれて、何か変える勇気がだんだんなくなってしまう。「ああ、変えたいことは変えたいけど、将来のことを考えて、やっぱり無理かな・・・今のまま行くって、しょうがないなあ」っていう言い訳を、現実でもよく言ったり、聞いたりする。これは、当たり前のことなんじゃないだろう。留学の経験や変わってきた考え方を何度も一生懸命書いたけれど、まだ決まり切ったコースから逃げられない?
最後まで
最近、二つのことに感慨深くなってきた。一つはある香港の19歳の少女だ。一週間ほど前に、インターネットで香港の新聞記事を見た時、ある少女についての記事が私の目に止まった。19歳のJさんは、若くて、バスケットボールがとても上手で、普通の若者のように元気な人だったが、先月、中国見学をしている時、急に倒れた。その後、香港の病院へ運ばれて、医者に肺高血圧だと診断された。治療方法は、肺移植という方法しかなく、この一週間、Jさんの両親は色々な媒体を通して、臨終の人の家族に臓器提供を懇願した。しかし、何か生物や医療の理由で、他の臓器と違って、移植できる肺臓を探すのは非常に難しく、この間、適切な肺臓が一つも見つからなかった。結局、今日、ある少女は他界してしまった。若くて、人生の可能性を、星のように多く待っていたはずなのに。
もう一つは、私の香港の教会のおばさんについてだ。おばさんは、まだ三十代後半か四十代前半で、決してご年配の方ではなく、二人の子供がまだ若いのに、癌のせいで、人生最後の時を過ごしている。どんな治療も役に立たなくて、ひどい痛みを緩和するために、モルヒネすら使うほかない。二カ月前に、香港にいる時、おばさんを訪れた。その時、おばさんはすでにとても痩せていたが、今日の母からの電話によると、食べられないせいで、おばさんはその時よりも痩せて、弱くなってしまったそうだ。
色々な悲しい話をしたが、人生の悲しみばかりもたらしたいわけでは決してない。その代わりに、まだ元気に生きている私たちは、この恵みを大切にしつつ、自分が満足する人生をなるべく一生懸命送るべきだと言いたい。人生の交差点で迷っている時、また、夢を追いかける道を進める勇気がなくなった時に、「人によっては夢を追いかけたくても、こういう機会は、もうない」って思い出した方がいいかもしれない。
「人間死ぬまで夢を持て。その夢が叶わなくても、しょせん夢やから」って、島田洋七が『佐賀のがばいばあちゃん』に書いた。私はその本を初めて読んだ時、まだ中学生で、島田さんの話があまり分からなくて、あまり理解ができなかった。「死ぬまでって、死ぬ前に夢を叶える力がないだろう?」って思っちゃった。けれども、歳を経ると同時に、体力をはじめ、前に持っていた知識や色々な能力などすらなくなってしまう可能性があるが、夢を持てば、希望がまだあるし、大変な時にでも、そのままの自分でいられて、笑顔でいられる。人生の最後まで。
藤子・F・不二雄先生が言った「子供の夢と願望はすべての人間の基本」という話に全く同感だ。
何十年も後、振り返ると
結構残念なことに、インターネットで「人生の後悔」のようなキーワードを調べてみると、色々なテレビドラマのようなストーリーが出てくるけれど、よく見えるパターンの一つは、「その時、自分の心に従わなかったのが、一番後悔した」という。確かに、今の時点から将来を見る視点は、将来のいつかに、今、というか、過去を振り返る視点とかなり違う。今、何か変えたいことがあって、「ああ変化して、何か悪い影響があったら、大変だ!よくなるより、むしろ、悪くなるかも。だから、変えたいけれど、今のままでいいかな」ってよく思うだろう。だが、将来になって今を振り返ると、「ああ。あの時の余計な心配のせいで、大切な機会を失っちゃった」って思う場合もあるかもしれないし、将来の私たちにとって、変えないままでいるよりも、むしろ、リスクを負っても、本当に行きたい道を選ぶような気がする。確かに、よくない決定をしたすら、後はまだ直せるけれど、何か後悔があったら、だいたい直しにくいに違いない。
研究の専門を変えたいことに対して、将来の就職を始め、色々な心配することがあっても、一番心配なのは、もし情熱を持っている専門に変えないと将来振り返ったら後悔しちゃうということだ。実は専門を変える大学院の三年生が少なくて、本当に変えられるかどうかが、教授に相談するまで、まだ分からない。だけど、今日、教授にアポイントをするメールを送った。最後に変えられるにしろ、変えられないにしろ、できるだけ、教授に自分の意思、日本の人類学研究への情熱と趣味を正直に話すべきだ。そうしないと、きっと後悔するんだ。
人生を卒業する日に、ずっと進んできた何十年も振り返ると、全く後悔がないことは難しいが、「ちょっと後悔したこともあるけど、夢のために精一杯だから、自分に申し訳ないことがないんだ」っていう気持ちがほしい。
ノミのライフストーリー
9月、香港からアメリカに戻る日の前夜、家族と友達と公園で予め中秋節を祝った。子供の頃、放課の後、母がいつも私を公園に連れて行ってくれたが、二十六歳の私にとって、公園は本当に久しぶりのところだ。
月餅を食べた後、14歳のイモウトとまるで子供のように公園で遊んだ。その公園には、黄色い円筒型のトンネル遊具が、地面から約5フィートに設置されている。そのトンネルの本来の機能は子供達にハイハイして中を通り抜けさせるものだが、多くの子供がトンネルの上に登って、通り抜けてしまう。とはいえ、私はそうしたことが一回もなかった。いい子だというわけじゃなくて、ただ気弱だから。5フィートから落ちちゃったら、かなり危ないような気がした。
逆に、いつもサルのように活発なイモウトは、5秒もかからずにトンネルの上に登った。「早く来て!楽しいよ!」って、彼女は私を誘った。「へぇー冗談じゃない?こんなに高いのに・・・私はもう年寄りだ。」って私は答えた。それと共に、翌日飛行機に乗って、アメリカに戻るから、怪我をしてしまったら嫌だ。
「もう!自信を持って、登ってみなよ!君はできるよ!」って、イモウトは、まだ諦めていなかった。
「できるって・・・私は一月のComprehensive Examを合格できるかさえ、分かんないもん!」、と。
「やってみるまで、分からないよ?ほら、ノミのストーリーを聞いたことがある?」、と。
「ノミなんて、何の関係があるの?」って、私は全然分からなかった。
「実は、もともと、ノミの飛び跳ねる力はすごく強かった。自分の身長の40倍ぐらいぴょんぴょんと飛び跳ねたよ。だけど、ノミを低い瓶に入れて、長い時間が経つと、ノミは放されても、もう身長の40倍の高さは飛べなくなるよ。まさか、そんなノミになりたいの?そんな飛び跳ねられないノミになってもいいの?」と、イモウトは言い続けた。
「うう、分かった・・・やってみる。」って。まだちょっと心配したところで、しょうがない。
何ヶ月も運動していなかった私は、まるでハンディキャップのペンギンのように、円筒型のトンネルの上に登った。栄光の瞬間、ついにやった!私に先登ったイモウトと、ハグして、喜んだ!私たちはトンネルの上に座って、色々話した。「おめでとう!いわゆる前のノミを乗り越えたんだね!」ってイモウトはお祝いを言った。ノミって思われたのは、なかなかおかしかったけれど、励ましてもらって、挑戦できたから、うれしかった!だが、挑戦はやっばり次から次へと出てくる。すぐあった問題は、どうやって地面から約5フィートにあるトンネルから、無事に地面に戻るかということだ。実は、5フィートって、そんなに高くないが、翌日アメリカに戻らなければいけない私は怪我をするかもしれないと余計な心配をしちゃった。横にいるイモウトは何回も何回も言えることをすべて言ってくれたら、私は最後に勇気を出して、トンネルから飛び降りた。両足が地面に無事に着地したが、重心の間違いからか、両足の間の距離が近すぎたからか、すぐ前の方に倒れちゃった!その倒れた瞬間、恥ずかしいと全然感じずに、私も妹も両親も友達も、皆止められないぐらいアハハ、アハハと爆笑せざるを得なかった!幸いにも怪我なんかしなかった。
トンネルに負けたくない私は、すぐ立ち上がって、トンネルの上にもう一度登って、飛び降りた。今度は、完璧にできた!
実は、以上のこと、本当に激バカバカしくて、アホみたいだが、私にとって、意味深い経験だ。どうしてか分からないけど、子供の頃から、私の性格は内気で、気が小さいから、自信や確実性があまりないこととか、間違う可能性が高いこととか、自分の安心領域の外のことを、できるだけ、しないことにしていた、というか、まだ時々している。留学が始まってから、そういう性格はあまりいけないような気がする。決まり切ったコースに従うのは別に間違いじゃないが、そうしたら、様々な想像できないほど面白くて有意義な経験を逃しちゃうんじゃないかと思う。専門を変えたい話に戻れば、トンネルの挑戦と本質的に同じだ。すなわち、固有のコンフォートゾーンから歩み出る決心があるか、新しいことを挑戦する勇気があるかということだ。ちなみに、ちょっと元気すぎて奇妙だが特別なイモウトがいるのが、感謝してる。
ところで、今のまま行ったところで、必ずしもこれからも安定できるわけがないんじゃないだろう。どうせ、人生は冒険する旅だから。それに、人生には色々な変化を受け入れても、様々なことを挑戦しても、究極の目的はいわゆる必ず成功しなきゃいけないこととか、だれよりも出世することじゃなくて、成功するにしろ、失敗するにしろ、する経験する経験、すべて楽しんでみながら、成長するということなんじゃないだろうか。人々は、ひな鳥のように、持って生まれた殻、自分や周りの人や社会が作っちゃった殻を、一つずつ壊すと同時に、外の広い世界の豊かな色彩を心の真ん中から感じるものだ。ただ人生観、世界観、人間関係などが深くなるのは、もう奇跡だろう。
最近、夏休みに日本に開講された日本語のプログラムで出会った素晴らしいK先生に挨拶のメールをした。K先生は私の日本研究への趣味と情熱を聞いたので、お返事で「そして日本にますます、興味が出てきたということ、とても嬉しく思います。日本における人類学というのも面白そうですね。迷う気持、よく分かりますが、どの分野であっても、ラウさんには、日本といつも繋がっていてもらいたいと願っています。」と励ましてくださった。
私の短期的な目標は、日本のことが大好きだから、専門を変えさせてもらえるかを問わず、K先生が教えてくれたように、日本語も、日本の社会についても学び続けるのを通して、日本といつも繋がるようにしよう!長期的な目標はまだあまり分からないけど、身長の40倍で飛び跳ねられるノミみたいで、大きい後悔しない人生を目指そう!
今のように、「ばかばかしいトンネル事件」を思い出して書いて、笑うのを禁じ得ないぐらい、人生の卒業日に、振り返ると、幸せに微笑めると、もう最高だ。
クリス ラウ
2015年10月8日から14日まで書いた
Lang-8の方とS先生のおかげで、2015年10月14日に訂正終わった。
No comments:
Post a Comment