香港の中学時代の恩師のご夫婦が最近アメリカを旅行しているので、先週、私はその二人に会うためにプリンストンからニューヨークに行ってきた。せっかくL先生がニューヨークにいらっしゃったんだから、いうまでもなく、私はいかに忙しくても、先生に会うべきだ。それで、三人で一緒に昼ご飯を食べたり、セントラル・パークを散歩しながら、きれいな紅葉を観たり、コーヒーを飲んだり、色々話したりして、非常に楽しかった!夏休みにも、先生のご夫妻と日本で十日間ぐらい一緒に遊んだ。その旅から、あっという間に、もう二カ月が経って、今日急に思い出して、とっても懐かしかった。日本に旅行した時のように、先生は私の話を気長に聞いてくれたり、色々世話してくれたり、面白い経験を聞かせてくれたり、私は感謝してる!そして、先生に香港と日本で買ったおいしいスナック(私の最愛のコアラのマーチチョコレートもある!!)をもらって、激感謝だぞ!
楽しい一日を過ごせて、うれしかった。しかし、地下鉄の中で、先生に別れを告げると、ある寂しい感情がどこかから飛び出して、突然、私を襲った。
というのは、アメリカで話せる友達がいないというわけでは決してないけれど、むしろ、私には昔からの知人や友達などと一緒に過ごした経験や、思い出は掛け替えがないからだ。
楽しい一日を過ごせて、うれしかった。しかし、地下鉄の中で、先生に別れを告げると、ある寂しい感情がどこかから飛び出して、突然、私を襲った。
というのは、アメリカで話せる友達がいないというわけでは決してないけれど、むしろ、私には昔からの知人や友達などと一緒に過ごした経験や、思い出は掛け替えがないからだ。
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アメリカに繋がるの?
昼ご飯の時、私の留学生活について色々話した。それで、色々な話をした後で、先生のご主人のJさんは「あなたはアメリカに2年間ぐらいいるけど、この地との繋がりがあまりなさそうだね」って私に言った。私はまるで考える必要がないように、「うん、そうだね」って答えた。
ちょっと失礼な話かもしれないが、この当地や、この学校との繋がりが本当にそれほど強くないと、いつも感じる。
何ということだろう。もちろん、大切にしてくれる友達や、大切にしている仲間が全然いないというわけでは決してない。実は、この2年間、イエスの恵みのおかげで、色々な優しい友達や、親切な人生の先輩や、深いことを心から話せる人に色々出会って、その人たちに心から「ありがとう!」とか、「感激して、感謝してるよ」って何回も何回も繰り返して言っていた。何でも器用ではないし、人々を助けてあげられることがあまりないこの私は、仲がよい友達を作りにくいはずだが、どうしてこんなにいい人たちとの繋がりをもたせてもらえたのか、今でも分からない。本当に恵みとしか思えない。そして、そのうちに、アメリカから出たら、きっとその人たちを懐かしむようになると思う。
だけど、アメリカこの社会、プリンストンこの学校へ、深い感情があまりない。将来、ここに暮らしたいっていう気持ち、とんでもマッタクない。ま、これに対して、すごく実際的な理由がある。例えば、香港や日本や台湾などのアジアの社会と比べると、アメリカの多くの町は、特に大都会じゃないところには公共交通機関があまりなくて、非常に不便だし、そのために、人々が買い物をする時、だいたい一週間分を買い込むし、安くておいしいものがあまりない、何とか何とか、色々なあまり好きじゃないことを並べられるけど、これらはすべて、一番大切な理由じゃない。
その理由は、ごく最近になって、初めて分かった。
面白いことに、私の友達の中には、アジア人をはじめ、白人や、黒人や、日系アメリカ人や、韓国系アメリカ人などがいるけれど、仲が一番良いのは、やっぱりアジアの文化圏で育った人だ。アジアで生まれ育った人から、アメリカに生まれても両親がアジアから来た人まで。言うまでもなく、この二つのグループの中で、色々な違いがあるとは自明だが、両方とも、まだ白人と違うように気がする。それと共に、だれも、東と西とでは文化がとても違うと分かっているはずだけど、この定説を本当に実感したのは、アメリカに来てからだ。東アジア研究を専攻する学生として、ちゃんと考えずに、観察したことや、生活の経験を任意的に選んで、いわゆる東洋文化と西洋文化を比較して、ステレオタイプを再確認することはしたくないが、文化の違いは本当に曖昧だとは言えるんじゃないだろう。
自分が見た例の一つは、話す話題だ。出会ったアメリカ人のうち、特に白人は、相手と仲がそんなに近くなくても、ルームメイトから、子供の頃の経験や、昨日食べたものや、家族まで、色々詳しく話した。もちろん、これは別に悪いことだと全然思わない。ただ自分がそれになれるかどうかということだ。一方、特別な例、例えば、内気の白人や、ものすごくおしゃべりなアジア人が、結構いるけど。
アメリカへの帰属感がないもう一つの理由は、日常生活の共通の話題があまりないことだ。英語や日本語や広東語でアジア人と話す時の方が、アメリカ人と話す時よりも、話題が多いような気がする。最初ちょっと心配したのは、私の英語が下手なせいで、アメリカ人とあまり長く話せないということだが、ずっとインターナショナル・スクールで勉強してきて、英語が自分の母語のような一人の香港人の友達も、同じ傾向を持っていた。私は、その友達に同じことを聞いて、びっくりした。もうちょっと考えると、私の日本語は全然上手じゃないけれど、確かに日本人の方がアメリカ人より話せる。だから、私の英語は下手だとというのは事実だけれど、これは、一番の直接の原因じゃないと、閃いた。
色々考えの軌跡を書いて、本当の原因をこれから明かそうと思う。最近、三人のアメリカ人と話して、一人は自分の一番好きなテレビドラマについて話していた。もう一人は賛成した。私は全然分からなかった。見たことが全然なかったからだ。後で、その人がドラマの内容を説明してくれて、私はその英語の話が分かった。そうだ。育った環境が全然異なるから、言語以外にも、見たドラマ、食べたスナック、見た日本のアニメの翻訳されたタイトル、やったゲーム、読んだ本が、全て違うのは当たり前だろう。
言い換えれば、英語がいかに上手でも(私の英語は全然ダメだが)、アメリカの代表的なドラマやアニメを見たことがない限りは、その話が分からないし、そのことを話題にすることができないに違いない。だから、留学生にとって、日常生活についての話せることの範囲は、かなり狭いと言える。そして、大学院生として、大学生より学園の活動にあまり行かなくて、だいたい本や、論文ばっかりと「遊んで」、仲がとてもよい友達がだいたい何人かしかいない大学院生なので、話題はもっと狭いかもしれない。話題があまりない私はアジア人と話しても、話題を選べられない時もたまにあるけれど、日本のアニメ、とくにドラえもんやクレヨンしんちゃん、コアラのマーチチョコレートやプリッツなどの日本のオヤツで育った香港っ子の私にとって、日本語が下手でも、日本人の友達に話す時、話題が色々結構ある。
これは、言語を越えたことだ。
何百字も書いたけれど、決してアメリカ人に文句を言いたいというわけじゃない。それぞれの社会は、独自の文化があって、外国人が分からないことがあるのは、当たり前以外のなにものでもないんだ。ただその経験を通して、自分に合う生活や、暮らしたい所について、前よりちゃんと考えさせられた。アメリカで生活したい人がいるけれど、私はその一人じゃないだけだ。
この原因が分かると、ニューヨークの地下鉄でL先生を見送った時、急に包まれた孤独感も、その理由が分かりやすくなった。
ちょっと失礼な話かもしれないが、この当地や、この学校との繋がりが本当にそれほど強くないと、いつも感じる。
何ということだろう。もちろん、大切にしてくれる友達や、大切にしている仲間が全然いないというわけでは決してない。実は、この2年間、イエスの恵みのおかげで、色々な優しい友達や、親切な人生の先輩や、深いことを心から話せる人に色々出会って、その人たちに心から「ありがとう!」とか、「感激して、感謝してるよ」って何回も何回も繰り返して言っていた。何でも器用ではないし、人々を助けてあげられることがあまりないこの私は、仲がよい友達を作りにくいはずだが、どうしてこんなにいい人たちとの繋がりをもたせてもらえたのか、今でも分からない。本当に恵みとしか思えない。そして、そのうちに、アメリカから出たら、きっとその人たちを懐かしむようになると思う。
だけど、アメリカこの社会、プリンストンこの学校へ、深い感情があまりない。将来、ここに暮らしたいっていう気持ち、とんでもマッタクない。ま、これに対して、すごく実際的な理由がある。例えば、香港や日本や台湾などのアジアの社会と比べると、アメリカの多くの町は、特に大都会じゃないところには公共交通機関があまりなくて、非常に不便だし、そのために、人々が買い物をする時、だいたい一週間分を買い込むし、安くておいしいものがあまりない、何とか何とか、色々なあまり好きじゃないことを並べられるけど、これらはすべて、一番大切な理由じゃない。
その理由は、ごく最近になって、初めて分かった。
面白いことに、私の友達の中には、アジア人をはじめ、白人や、黒人や、日系アメリカ人や、韓国系アメリカ人などがいるけれど、仲が一番良いのは、やっぱりアジアの文化圏で育った人だ。アジアで生まれ育った人から、アメリカに生まれても両親がアジアから来た人まで。言うまでもなく、この二つのグループの中で、色々な違いがあるとは自明だが、両方とも、まだ白人と違うように気がする。それと共に、だれも、東と西とでは文化がとても違うと分かっているはずだけど、この定説を本当に実感したのは、アメリカに来てからだ。東アジア研究を専攻する学生として、ちゃんと考えずに、観察したことや、生活の経験を任意的に選んで、いわゆる東洋文化と西洋文化を比較して、ステレオタイプを再確認することはしたくないが、文化の違いは本当に曖昧だとは言えるんじゃないだろう。
自分が見た例の一つは、話す話題だ。出会ったアメリカ人のうち、特に白人は、相手と仲がそんなに近くなくても、ルームメイトから、子供の頃の経験や、昨日食べたものや、家族まで、色々詳しく話した。もちろん、これは別に悪いことだと全然思わない。ただ自分がそれになれるかどうかということだ。一方、特別な例、例えば、内気の白人や、ものすごくおしゃべりなアジア人が、結構いるけど。
アメリカへの帰属感がないもう一つの理由は、日常生活の共通の話題があまりないことだ。英語や日本語や広東語でアジア人と話す時の方が、アメリカ人と話す時よりも、話題が多いような気がする。最初ちょっと心配したのは、私の英語が下手なせいで、アメリカ人とあまり長く話せないということだが、ずっとインターナショナル・スクールで勉強してきて、英語が自分の母語のような一人の香港人の友達も、同じ傾向を持っていた。私は、その友達に同じことを聞いて、びっくりした。もうちょっと考えると、私の日本語は全然上手じゃないけれど、確かに日本人の方がアメリカ人より話せる。だから、私の英語は下手だとというのは事実だけれど、これは、一番の直接の原因じゃないと、閃いた。
色々考えの軌跡を書いて、本当の原因をこれから明かそうと思う。最近、三人のアメリカ人と話して、一人は自分の一番好きなテレビドラマについて話していた。もう一人は賛成した。私は全然分からなかった。見たことが全然なかったからだ。後で、その人がドラマの内容を説明してくれて、私はその英語の話が分かった。そうだ。育った環境が全然異なるから、言語以外にも、見たドラマ、食べたスナック、見た日本のアニメの翻訳されたタイトル、やったゲーム、読んだ本が、全て違うのは当たり前だろう。
言い換えれば、英語がいかに上手でも(私の英語は全然ダメだが)、アメリカの代表的なドラマやアニメを見たことがない限りは、その話が分からないし、そのことを話題にすることができないに違いない。だから、留学生にとって、日常生活についての話せることの範囲は、かなり狭いと言える。そして、大学院生として、大学生より学園の活動にあまり行かなくて、だいたい本や、論文ばっかりと「遊んで」、仲がとてもよい友達がだいたい何人かしかいない大学院生なので、話題はもっと狭いかもしれない。話題があまりない私はアジア人と話しても、話題を選べられない時もたまにあるけれど、日本のアニメ、とくにドラえもんやクレヨンしんちゃん、コアラのマーチチョコレートやプリッツなどの日本のオヤツで育った香港っ子の私にとって、日本語が下手でも、日本人の友達に話す時、話題が色々結構ある。
これは、言語を越えたことだ。
何百字も書いたけれど、決してアメリカ人に文句を言いたいというわけじゃない。それぞれの社会は、独自の文化があって、外国人が分からないことがあるのは、当たり前以外のなにものでもないんだ。ただその経験を通して、自分に合う生活や、暮らしたい所について、前よりちゃんと考えさせられた。アメリカで生活したい人がいるけれど、私はその一人じゃないだけだ。
この原因が分かると、ニューヨークの地下鉄でL先生を見送った時、急に包まれた孤独感も、その理由が分かりやすくなった。
異国で、ふるさととの繋がりが深くへ
アメリカにいても、時々香港のことが頭に浮かんでくる。そして、この冬休みに香港に帰れないことを思い出すたび、毎回がっかりしてしまう。今度いつ香港に帰るかがまだ分からないから、すぐ家に帰るまでのカウントダウンの期待感も楽しめない。 それにしても、若いうちに、こんな時間、こんな感情を経験できるのは、大変だと感じるとかえって、幸せだと思っている。意外に、一部の旧友との繋がりが、深くなってきたと共に、心がだんだん成長してきたからだ。
2週間前に、L先生のご夫婦はもうアメリカに着いた。アメリカのフライトと荷物の質問がいくつかあって、私に電話した。夜に話し合ってる時、アレルギー性鼻炎のせいで、少し鼻声が出ちゃった。先生は「どうしたの?病気になっちゃったの?」と聞いた。「いやいや、ただの軽度のアレルギー性鼻炎に罹っているだけだ。」って私は答えた。全然大したことじゃないけれど、先生はびっくりしていた。「へえー、きみはアレルギー性鼻炎があるの?なぜ、何年もきみのことを知ってるのに、こんなことを全然知らないなんて?」と。「なぜって、私も分からない・・・ま、本当にひどいことじゃないから、心配しないで。」って、これしか答えられなかった。「後で、それを治るように祈ってあげる。体に気をつけてね。」と、先生は言ってくれた。
そして、一昨日、先生はイエローストーン国立公園に行く前に、少し事情があって、私にメールした。アメリカに2年間ぐらい滞在してきたのに、実際にこの国のことがあまり分からないから、先生に何かアドバイスをすることができなかった。「それは大変だね。お二人のために祈ってあげるよ。後で状況を聞かせてね。でも、いつもお祈りを忘れちゃうから、私が覚えられるように祈ってね。」って、返事を書くと、先生は「きみのアレルギー性鼻炎のためだけ祈ってるよ」って答えた。今回は私こそびっくりした。大したことでは決してないのに、まだ覚えてくれていた。
その先生をはじめ過去の親友は全員会えない異国にいるが、かえって一部の旧友との繋がりがますます深くなったという逆説的なことは、きわめて不思議だ。つまり、前のようによく会えて楽しく話すことができないけど、仲がよくなったことは、一体、どうして可能なのか?
人々がそれぞれの答えを持っているけど、私にとって、繋がりが強くなるカギは相手を大切にする気持ちだ。私の香港のうちは私の中学校ととても近くて、卒業してから何年経っても、「先生、来週帰りたいよ。何時ぐらい時間があるの?」ってよくL先生に聞いて、先生のスケジュールによって学校に帰って、楽しく話した。それで、よく自分の言いたいことばっかりバーと話し出しちゃった。けれども、今、先生の近況や、思想を聴きたくなって、話すよりも聞くように心がけている。そして、何かあげられるかを前より少し考えて、頑張ってみるようになった。
確かに一年間に1回、2回ぐらいしか会えないので、目の前のこの人、この時間を大切にすべきだという悟りを閃いた。人間は失うことを経験せずには、大切にすることを学びがたいだろう。
そして、年を取りながら、心の仲間(なぜかジャイアンの「心の友」みたい・・・)との意味合いは移り変わってきた。もう学校のクラスメートのようにいつも会ったり、お互いに支え合ったり、毎週も一緒にご飯を食べたり、何時間も話したりするバディじゃない。どうせ、職場で心の友(またジャイアンのようだ・・・)を作れる人がどれぐらいいるの?だから、その代わりに、しばらく会えなくても、昔の一緒の経験から作った思い出や、前から積んだお互いの理解のおかげで、たくさん話さなくても、気脈が通じて、繋がりの糸をそのまま引いている仲間だ。いうまでもなく、時間が経つにつれて、関係が薄くなる人もいるが、これは当たり前なんじゃないだろう。最も大切なのは、大切にすべきなかまを大切にすることだ。
微妙なことに、アメリカに生活したいという気持ちがとんでもないけれど、アメリカ文化から影響を受けたような気がする。もちろん、文化の境界はいつも曖昧だ。しかも、歴史の視点から考えると、香港は百年以上イギリスの植民地だったから、様々な西洋影響を受け入れて、純粋なイギリス文化と純粋な中華文化と違って、香港ならではの文化が出てきたと言える。
ともかく、受けた影響を今書く。
香港にいる時、ハグすることに対して、ちょっと気詰まりだった。面白いことに、香港人の習慣によって、他の会社の人や、正式行事で出会った人などの繋がりがあまり深くない人に会う時、握手することになっているけれど、普通は、あまりハグしないという傾向がある。特にツンデレや、かなりてれやの私にとって、ハグという動作はちょっと近すぎる。だが、アメリカでは特に教会で友達と会う時、皆は習慣としてハグしているから、私もだんだん慣れてきた。とはいえ、皮肉なことに、香港の友達にハグされた時、まだ少し不自然なような気がした。
しかし、ニューヨークの地下鉄で、さようならを言う時、先生は「アメリカ的なハグをしない?」って聞いた。どうしてか分からないけど、そうしたら、別に苦痛だとは全然感じなくて、やっと不自然な気持ちから解放された。これも、成長してきたことの一つかもしれない。(笑)
気づいたことのもう一つは、ここのディスクロージャーにおける気詰まりだ。香港にいる時、生活とは家族や、クラスメートや、友達や、教会の友達などのグループで構成されたが、プリンストンの学生たちにとって、留学生でも、アメリカ人でも、うちや出身地が遠いので、この学校のコミュニティが、ほとんど皆の生活の大部分だ。どこから飛び出した気詰まりかは分からないけれど、フェイスブックでこの作文のようなものを投稿する時、いつも学部のクラスメートや、いつも会う人に公開しないようにしている。投稿に書いたことは別に悪くないけれど、そうしなかったら、違和感が出て来ちゃう。つまり、皮肉なことに、毎日のように出会うグループで、繋がりが深いはずなのに、適切な距離感をそのまま保っていきたい。逆に、ふるさとで作った人間関係は、会う機会が少かったおかげで、大切にするという気持ちが出てきて、繋がりが深くなったということだ。
人生には色々な孤独感があるかもしれないが、この中の一つは異文化における孤独感に違いないだろう。飲食、ドラマ、シャワーを浴びる時間、オヤツ、話し方、考え方などは、自分が生まれ育った文化と異なる。こういう異国文化にいると、新しい友達を作らせてもらいつつ、自分の考え方、というか、自分の人生を豊かにできる一方で、自分の出身や前の繋がりを懐かしみがちだ。だから、これは、きわめて曖昧な孤独感だ。
そう。これは、もしかしたら、いわゆる自分が属する文化と、異文化の間、重なり合う境界にいる寂しさかも。
とにかく、迷った時、旧友に、不安を宥めてもらうと同時に、新しく作った仲間に、いろいろ教えてもらって、人生が富んできたような気がする。
時間の流れと共に、子供っぽい思いや、世界への単純な理解などにさらわれても、変わらないことは、雲上の照ってる日の光と、人生の途中で気が合う仲間との笑声だ。
2週間前に、L先生のご夫婦はもうアメリカに着いた。アメリカのフライトと荷物の質問がいくつかあって、私に電話した。夜に話し合ってる時、アレルギー性鼻炎のせいで、少し鼻声が出ちゃった。先生は「どうしたの?病気になっちゃったの?」と聞いた。「いやいや、ただの軽度のアレルギー性鼻炎に罹っているだけだ。」って私は答えた。全然大したことじゃないけれど、先生はびっくりしていた。「へえー、きみはアレルギー性鼻炎があるの?なぜ、何年もきみのことを知ってるのに、こんなことを全然知らないなんて?」と。「なぜって、私も分からない・・・ま、本当にひどいことじゃないから、心配しないで。」って、これしか答えられなかった。「後で、それを治るように祈ってあげる。体に気をつけてね。」と、先生は言ってくれた。
そして、一昨日、先生はイエローストーン国立公園に行く前に、少し事情があって、私にメールした。アメリカに2年間ぐらい滞在してきたのに、実際にこの国のことがあまり分からないから、先生に何かアドバイスをすることができなかった。「それは大変だね。お二人のために祈ってあげるよ。後で状況を聞かせてね。でも、いつもお祈りを忘れちゃうから、私が覚えられるように祈ってね。」って、返事を書くと、先生は「きみのアレルギー性鼻炎のためだけ祈ってるよ」って答えた。今回は私こそびっくりした。大したことでは決してないのに、まだ覚えてくれていた。
その先生をはじめ過去の親友は全員会えない異国にいるが、かえって一部の旧友との繋がりがますます深くなったという逆説的なことは、きわめて不思議だ。つまり、前のようによく会えて楽しく話すことができないけど、仲がよくなったことは、一体、どうして可能なのか?
人々がそれぞれの答えを持っているけど、私にとって、繋がりが強くなるカギは相手を大切にする気持ちだ。私の香港のうちは私の中学校ととても近くて、卒業してから何年経っても、「先生、来週帰りたいよ。何時ぐらい時間があるの?」ってよくL先生に聞いて、先生のスケジュールによって学校に帰って、楽しく話した。それで、よく自分の言いたいことばっかりバーと話し出しちゃった。けれども、今、先生の近況や、思想を聴きたくなって、話すよりも聞くように心がけている。そして、何かあげられるかを前より少し考えて、頑張ってみるようになった。
確かに一年間に1回、2回ぐらいしか会えないので、目の前のこの人、この時間を大切にすべきだという悟りを閃いた。人間は失うことを経験せずには、大切にすることを学びがたいだろう。
そして、年を取りながら、心の仲間(なぜかジャイアンの「心の友」みたい・・・)との意味合いは移り変わってきた。もう学校のクラスメートのようにいつも会ったり、お互いに支え合ったり、毎週も一緒にご飯を食べたり、何時間も話したりするバディじゃない。どうせ、職場で心の友(またジャイアンのようだ・・・)を作れる人がどれぐらいいるの?だから、その代わりに、しばらく会えなくても、昔の一緒の経験から作った思い出や、前から積んだお互いの理解のおかげで、たくさん話さなくても、気脈が通じて、繋がりの糸をそのまま引いている仲間だ。いうまでもなく、時間が経つにつれて、関係が薄くなる人もいるが、これは当たり前なんじゃないだろう。最も大切なのは、大切にすべきなかまを大切にすることだ。
微妙なことに、アメリカに生活したいという気持ちがとんでもないけれど、アメリカ文化から影響を受けたような気がする。もちろん、文化の境界はいつも曖昧だ。しかも、歴史の視点から考えると、香港は百年以上イギリスの植民地だったから、様々な西洋影響を受け入れて、純粋なイギリス文化と純粋な中華文化と違って、香港ならではの文化が出てきたと言える。
ともかく、受けた影響を今書く。
香港にいる時、ハグすることに対して、ちょっと気詰まりだった。面白いことに、香港人の習慣によって、他の会社の人や、正式行事で出会った人などの繋がりがあまり深くない人に会う時、握手することになっているけれど、普通は、あまりハグしないという傾向がある。特にツンデレや、かなりてれやの私にとって、ハグという動作はちょっと近すぎる。だが、アメリカでは特に教会で友達と会う時、皆は習慣としてハグしているから、私もだんだん慣れてきた。とはいえ、皮肉なことに、香港の友達にハグされた時、まだ少し不自然なような気がした。
しかし、ニューヨークの地下鉄で、さようならを言う時、先生は「アメリカ的なハグをしない?」って聞いた。どうしてか分からないけど、そうしたら、別に苦痛だとは全然感じなくて、やっと不自然な気持ちから解放された。これも、成長してきたことの一つかもしれない。(笑)
気づいたことのもう一つは、ここのディスクロージャーにおける気詰まりだ。香港にいる時、生活とは家族や、クラスメートや、友達や、教会の友達などのグループで構成されたが、プリンストンの学生たちにとって、留学生でも、アメリカ人でも、うちや出身地が遠いので、この学校のコミュニティが、ほとんど皆の生活の大部分だ。どこから飛び出した気詰まりかは分からないけれど、フェイスブックでこの作文のようなものを投稿する時、いつも学部のクラスメートや、いつも会う人に公開しないようにしている。投稿に書いたことは別に悪くないけれど、そうしなかったら、違和感が出て来ちゃう。つまり、皮肉なことに、毎日のように出会うグループで、繋がりが深いはずなのに、適切な距離感をそのまま保っていきたい。逆に、ふるさとで作った人間関係は、会う機会が少かったおかげで、大切にするという気持ちが出てきて、繋がりが深くなったということだ。
人生には色々な孤独感があるかもしれないが、この中の一つは異文化における孤独感に違いないだろう。飲食、ドラマ、シャワーを浴びる時間、オヤツ、話し方、考え方などは、自分が生まれ育った文化と異なる。こういう異国文化にいると、新しい友達を作らせてもらいつつ、自分の考え方、というか、自分の人生を豊かにできる一方で、自分の出身や前の繋がりを懐かしみがちだ。だから、これは、きわめて曖昧な孤独感だ。
そう。これは、もしかしたら、いわゆる自分が属する文化と、異文化の間、重なり合う境界にいる寂しさかも。
とにかく、迷った時、旧友に、不安を宥めてもらうと同時に、新しく作った仲間に、いろいろ教えてもらって、人生が富んできたような気がする。
時間の流れと共に、子供っぽい思いや、世界への単純な理解などにさらわれても、変わらないことは、雲上の照ってる日の光と、人生の途中で気が合う仲間との笑声だ。
この歌をまだ連絡してくれる旧友へ、送りたい。(皆は日本語が分からないけど)
Story
作詞:Al 作曲:2SOUL
限られた時の中で
どれだけのコトができるのだろう
言葉にならないほどの想いを
どれだけアナタに伝えられるのだろう
ずっと閉じ込めてた
胸の痛みを消してくれた
今 私が笑えるのは
一緒に泣いてくれたキミがいたから
一人じゃないから
キミが私を守るから
強くなれる もう何も怖くないヨ
時がなだめてく
痛みとともに 流れてく
日の光がやさしく照らしてくれる
説明する言葉も
ムリして笑うコトもしなくていいから
(So you don’t have to worry)
何かあるなら いつでも頼ってほしい
疲れた時は 肩をかすから
どんなに強がっても
ため息くらいする時もある
孤独じゃ重い扉も
共に立ち上がればまた動き始める
1人じゃないから
私がキミを守るから
あなたの笑う顔が見たいと思うから
時がなだめてく
痛みと共に流れてく
日の光がやさしく照らしてくれる
時に人は傷付き、傷付けながら、
染まる色はそれぞれ違うケド
自分だけのSTORY
作りながら生きてくの
だからずっと(ずっと)、ずっと(ずっと)
あきらめないで
クリス ラウ
2015年10月21日から28日まで書いた
2015年10月29日にだいたい訂正した
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