Tuesday, February 24, 2015

ある日の「ドラえもん」

先週の木曜日、三つの授業があったので、アパートに帰った後で死ぬほど疲れていたけれど、ドラえもんのStand by Meという映画をすごく楽しみにしていた。そのディーブイディーを二ヶ月前ぐらい予約して、先週やっと届いた!見る前に、日本人としての男の友達に「泣けますよ」ってFBで言われたのに、見た後で、感動の気持ちを持っていったけど、期待の方が感動するようだし、複雑な気持ちが出てきたと思う。

まず、短い映画で色々な面白いところを入ることは難しいはずで、かつ、映画を作った製作者は3Dコンピュータグラフィックスという技術をちゃんと使いたがっていたような故に、その映画に様々なところや場面を入れて、いくつかの微妙なことの描写があまり足りなさそうだ。このストーリーはドラえもんとのび太くんの関係を中心しているようだが、一部のプロットはちょっとおかしくなって、何人かのキャラクターの行動はちょっとひどくなってしまいそうだ。

例えば、ドラえもんとのび太くんのなかがよくなるという前と後の大きな対照を描くため、最初のドラえもんは、のび太くんが何でもダメだから、のび太くんを全然世話したくなくて、少しひどすぎたようだ。それは漫画が描いて、ドラえもんのいつでも優しいイメージと違う。もちろん、そんなはっきりの対比することは、二人の関係のよくなったという変化を表せる。だが、それは、二人の関係が急によくなってきたようで、わけがあまり分からないと私に感じさせた。つまり、二人の関係の微妙さこそと、よくなった過程をもう少し明らかに表現できるように、なかがどうやってだんだんよくなってきたところが増えた方がいいかもしれない。

こと映画は欠点がありそうだ。とは言え、ドラえもんはやっぱり私がずっと前から一番好きなアニメだから何でも大丈夫だ。なぜかと言うと、アニメということは現実世界と違って、何でも想像できることなんじゃないだろうか?思うに、成長しながら、大人としての私たちは社会化という過程を通して、社会としての様々な価値観や規範をだんだん持ってきた。したがって、いつも世界や社会としてのいわゆる標準によって、アニメの中の場面が変かどうか決めてきたようだ。社会で言うまでもなく、一部の標準が絶対に要るが、私たちは標準がだれか作ったか、どうしてそう定めたか、他の可能性かあるかなどの質問をあまり聞かないようだ。アニメの一つの意味は、私たちに子供の頃に、心で描いた夢をはじめ、理想とか想像力とか創造力などのことを思い出させたんじゃないだろうか?



昨日、T先生に ドラえもんについて楽しく話していただいた。私はそんなトピックを話すたびに、いつもクスクスと笑って仕方がないから、自分が子供っぽすぎるか、ちょっと恥ずかしいんじゃないかと思ったら、かえって先生にラウさんのドラえもんのことの話を聞くのが好きで、ドラえもんを見て懐かしい気持ちを感じたって言って下さった。私はやっぱり子供っぽくなくて、考え方がすごく深くて、とても大人らしい大人だ。(冗談だけで、現実は全然反対だ。)確かに、子供と大人はドラえもんが好きな理由がやっぱり違うわけだ。

子供の頃、ドラえもんが好きな理由は多分ひみつ道具がすごく面白いし、ドラえもんが超かわいいし、ドラえもんのアニメに繰り返し笑わされたなどのことかもしれない。思うに、大人の理由は、おそらくドラえもんを見て、子供のことを思い出して、懐かしい気持ちが出てくるということなんじゃないだろうか。

私はStand by Meを見て、前にお世話になった家族をはじめ、親友とか、なかまとか、前の恩師などの人たちを思い出させられた。わけが分からないけれど、人生の中で、一部の人はまるでドラえもんのように、私たちの幸せを願ってくれるし、私たちが嬉しい場合に、私と共に喜んでくれるし、大変な時に、共に心配してくれる。私たちが恩に報いるかどうかを問わず、いつでも私たちと同行してくれる。

ところで、私にとって、その映画で一番感慨深い場面は、大人ののび太くんはドラえもんを見たところだ。その背景は、子供ののび太とドラえもんは一緒に未来に行って、のび太くんが大人ののび太くんを出合いながら、ドラえもんは寝ていた。大人ののび太は昼寝中のドラえもんを見て、その時点、何も言わなくて、感傷をそそったようだ。若いのび太くんは「ドラえもん?呼んでこよっか?」って大人の自分に聞いてくれたのに、「いや、やめておこう。ドラえもんは君の、ぼくの子供の頃の友達だからね。ドラえもんとの時間を大切にしろよ」って言われた。

確かに、小さい頃や小学校と中学校を卒業する頃、みんなはだいたい「私たちの友情が末永く続くように!」って言ったり、「将来どんなことがあっても、友情を守るために頑張るようにしよう」って思ったり、感動したりしたようだ。ところが、その後で、友達とのなかは思うようにならなくて、集まりをしてみても、一部の人たちが全然来てくれなかった。そして、私たちは、そんな場合を多く通して、「友情関係がいつまでも続く」という望みが本当に無理だってだんだん分かってきた。つまり、たくさんの友達も、お世話になった人たちも、本当に人生の一定期間しかいない仲間のようだ。

だが、お世話になった人たちにまだ聯絡するにしろ、もう連絡しなかったにもかかわらず、過去の記憶を今まで持て得るんじゃないだろうか?Stand by Meの大人ののび太くんと同じで、ある日のドラえもんと合えなかったけど、ドラえもんとの時間から引き出す暖かさをまだ感じられた。その上、ドラえもんはのび太くんの友達だけじゃなくて、私たちの前のある日の仲間を象徴するキャラクターになってきたはずだ。

一部の記憶は、前世紀のように遠い一方、一部の記憶は昨日のように近い。とにかく、ある日の「ドラえもん」はいつでも、記憶や心のどこかにいると信じている。私たちは、大変な時や、どうしようか全然分からない時に、子供の頃に戻りたい気持ちを持つと、過去に戻れないけれど、自分がどこから来たか、どこへ行きたいか、どんな人になりたいか大切に覚えている限り、明るく生きていくことがきっと出来ると思っている。というのは、 ある日心を温めてくれた「ドラえもん」と、星のように輝く思い出は、私たちに勇気と情熱を持たせて、明るい将来へ楽しみながら進めさせてくれるからだ。

ちなみに、Stand by Meはやっぱり深くて素晴らしい映画だ!



(先週の木曜日と金曜日の二日間に、三回も見た。初めて自分で見て、そしてドラえもんを見たい友達と一緒に見てもらって、すごく楽しかった!大学生の日本人の友達のMさんがドラえもんのことをたくさん教えてくれて、勉強になった!ドラえもんはやっぱり今までとても人気になってきた!)

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