Friday, March 20, 2015

聞くこと、話すこと:人間関係のこと(3月11日に書いた)

今日、先生に聞くことや話すことについて楽しく話し合っていただいて、いくつかの考えを引き出させられたので、書きたい。(書くの、最高!)

友達と話している時、私は「あなたがよく気長に聞いてくれて、いいね」とよく言われたけれど、本当は一部の場合にそうじゃない。まず、一般的に私は聞く方が話すより好きだから、普通の場合に私にとって聞くのがそんなに難しくないわけだ。なぜかというと、相手がたくさん話してくれると、会話が下手な私は、話すトピックを考えなくても全然大丈夫からだ。次に、私は怠け者なので、知識を学び方の中で一番速くて便利なのは多分情報や知識を聞くことなんじゃないかと思う。他の人は本やインタネットなどを読んで、情報を会得して、私たちに教えてくれると、時間と手間をたくさん省けるはずだ。したがって、本を読む時間がない時、レクチャーの方が話し合うことを中心するゼミより好きになりがちだ。その上、他の人の話を聞くのは一般的な尊重のはずだ。

とは言え、一部の人と会話している時、相手のストーリーや意見を本当に聞きたい場合もある。歴史専攻の学生として、過去から学ぶべきだが、それぞれの人々は、自分のストーリーがあるので、私たちがそれを通して学べることもあるんじゃないだろうか?

最近、新しい友達のSさんとご飯を食べながら、たくさん話してもらった。その食事が、私たちの授業以外のはじめの会話だったら、かえてSさんは自分のストーリーを詳しく話してくれて、私をびっくりさせた。そして、私たちの家族の背景は結構似ているので、一部のことがお互いに分かっている「共鳴」のような気持ちはほとんど出てきた。どうしてか分からないけれど、はじめの会話は深い話すことになったが、不自然な感じが全然感じられず、私的空間がいっぱい要る私にとってすごく不思議なことだ!

似ている経験を持つ友達と会話するのは、言うまでもなく楽しい。だが、経験がぜんぜん違う友達と話すのも、勉強になることができる。したがって、私はよく色々な専門の大学生の友達の方が、同僚のような仲間より話すのが面白いと思う。なぜなら、仲間はよく研究について話しているが、大学生の友達は様々な面白い知識をはじめ、色々な国とまちの文化や、日常生活のことなど喋っていて、本当に楽しんだからだ。確かに、もし自分とはっきり関係あることばかり関心すると、人生の視点は狭くなるんじゃないかと思う。どうせ、人生は自分の足で歩ける道が一つしかないが、他の人のストーリーを聞きながら、人生の星のような可能性と道も、周囲の素晴らしいことも、実り多い経験も見えるはずだ。ちなみに、思うに、そんな面白いストーリーを聞いてもらうのは文学の勉強と似ているし、広い大空の下で、歴史にいる人々と周囲の人たちの人生と比べて、自分の人生の独特性と共通点を見つけてみたり、人生についての様々な質問の答えを延々と探し求めてみたりすることのわけだ。

ところで、思うに、知り合いや友達の相手が様々な経験をはじめ、挑戦や悲しみや信念や嬉しいことなどの自分のことを話してくれる時、人生の経験だけじゃなくて、信頼も表すんじゃないだろうか?なぜかというと、知り合いや友達と自分のことをお互いに話し合うことは当たり前のようだけれど、実はお互いの信頼がますます出てきた過程なんじゃないだろうか?つまり、特別な場合は別として、初めて会った知り合いと深い考えや経験についてだいたい話さないし、相手との関係とだんだん強くになって、お互いに信じ合ってきた際に、話せることはどんどん多くなるわけだ。

その上、「合縁奇縁」ということわざは、面白い人間関係の微妙さが表せるのだ。長い間友達だったわけでもないのに、気が合って、すぐ旧友のようになって、理由をわからずに色々なことを話せるになってきた。そのうちに、前にぜんぜん考えなかったらことも急に体験できると思う。例えば、以前、私は疲れている時、一部の友達の人生や生活の話を聞くのは、時間を使ってあげることだと思ったが、今、同じ場合に友達に信じてもらって、真摯に話してもらった折に、大切に聞いてみて、感謝の気持ちを持つことを学ぶことにしている。深いことについて話すために、私たちを選んでくれていたのは、感謝するべきことの一方、私のつまらなくて、混乱する思いを聞いてもらうのも感謝に値することなんじゃないだろうか。

昨日の晩、Mさんと他の二人のいい友達とご飯を食べながら、たくさん喋った。夏休み日本に行って、東京に住んでいるMさんと会って、ドラえもん博物館(本名は藤子・F・不二雄ミュージアム)に一緒に行こうと約束した。Mさんは東京と京都についての面白くて「おいしい」情報をたくさん教えて、行かなければいけない観光ポイントのリストを作ってくれた。そして、下記の会話になった。

私:「色々なところもとっても面白いけど、私にとって、日本に行ったら、一番大切なのはやっぱり・・・」

Mさん:「ドラえもん博物館でしょう?」

私:「そうじゃないよ!もちろんMさんと会うのだよ!」

そんなにばかばかしい話が出てきて、私たちは笑って続けて仕方がなかったら。そんな会話は冗談のようだが、本当の気持ちも入れた。

前にいつも歴史的なところだけに行きたかったが、プリンストンに来て、様々な優しくて頭がいい人たちと会話すると、私の価値観がだんだん変えてきた。今、楽しく話せる友達さえいれば、旅行の時どこに行っても、楽しい旅になり得ると信じている!

最後に、最近、年上のいとことメールで留学の経験について話して、私は「確かに、留学を通して学べることは知識ばかりでなく、色々な省察も反省もできる。もし私が最初プリンストンに行かないと決めたら、これは終生の遺憾になると思う」と書いた。というのは、留学したら、私はどんどん変わって、前のバカな考え方を振り返るに堪えないけれど、前よりよい方向に向けて徐々に歩んでいくようだからだ。今の方が会話を心から楽しむことが学び得るようになってきた。鈍感なので、成長の歩調がちょっと遅すぎるけれど、自分に合ったペースで歩むと悪くないかな。この2年間に、一番印象的な学んだ事の一つは、心から話せる相手とお互いに話して合ったり、お互いに聞いたりするのは普通の会話だけじゃなくて、人間関係を築くことということだ。たくさんの友達やなかまは「会うは別れのはじめ」ということわざが言ったように、人生の一定期間しかいないはずだけれど、偶然の出会うことから、深い関係になるまでの過程中、数えられないことを学べて、お互いの人生を豊かにするようになるんじゃないだろうか?私にとって、これは長期的な宝物だ!

これからも、人々の軌跡から学んでいく!これは、一生の宿題だ!


2015年3月11日に書いた
クリス・ラウ

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