(Cantonese version is coming)
昨日、面白いエッセーを読んだ。塩谷直也牧師が書いた『忘れ物のぬくもり』の中にある「主は羊飼い」というエッセーだ。塩谷さんが小さい頃、家の近くにある建物が火事になり、お母さんと逃げ出さなければいけなかった時のことだ。
「一家総出でそれぞれの「大事なもの選び」が始まった。みんながそれぞれ大声で叫んでいたようだが、なんと言っていたか覚えていない。わたしはおもちゃ(ガラクタ)を両手に持って北側の玄関からガレージへと移った。遅れて母も両手に「大事な」荷物を抱えて出てきた。
しかし、小学生の兄がいつまでたっても出てこない。探すと彼は、南に面した庭の、それも火の手に近い鳥小屋にいた。彼は当時大事に育てていた伝書鳩を救うため、一羽一羽を鳥かごに移そうと格闘していた。火を怖がって暴れ回っていたであろう伝書鳩を、捕まえるのにてこずっていたようなのだ。」と塩谷さんは書いた。
幸いにも、私は今まで火事に出会ったことがないし、もちろん絶対に遭遇したくない。だけど、今住んでいるアパートの警報は今まで三度ぐらい鳴ることがあった。だから、夜にアパートから避難せられたことがある。机に置いていた携帯、財布と鍵をジャケットのポケットに入れて、そして、必ずパスポートを持っていった。パスポートを選んだのは、わざわざ考えた末にしたことじゃなく、むしろ無意識的なような当然の行動みたいだ。「そうだ、本や服などが焼けてなくなってしまったとしても、せめてパスポートを持ってさえいれば、香港に帰れる。これで十分だ。」っていう意識を知らないうちに持っていたのかもしれない。私はさすが「いつも香港に帰りたいやつ」だと同級生に知られている通り、避難のときの「大事なもの選び」の場合にも、自己をちゃんと保っていた。
しかし実のところは、その考え方はばかばかしいだろう。たとえ火事が起こっても、その後のすべきことは色々あるはずだ。アパートに戻って焼けてしまわなかったものを探すとか、臨時で住むアパートを探すとか。とにもかくにも、すぐに直接香港に帰るわけじゃないだろう。とはいえ、もしかしたら、私の大事なものの選び方は、私の考え方を表すものに違いない。
多分人生もそうだ。予想外の嵐が突然来たら、私たちは居心地がよいところから立ち去らなければいけないことになる。持っていける「こと」は少ししかない。自分にとって一番大切な事柄を選ぶべきだろう。冒険の精神か、安心感か、財産か、思い出か、信用か、利益か、繋がりか、実際的な気遣いか、他人からの期待か、自分の夢と情熱など。選ぶのを悩んでいる時に、自分にとって大切なことを見いだす一方で、「ま、これは本当はそんなに大事じゃないかな」って気づくことさえあるのではあるまいか。
人生には、自分にとって必要な荷物だけ持って、本当に大切な人だけを気にすればいい。余計な荷物がなければ、悠々と進んでいけるからだ。
2016年1月14日に書き、だいたい訂正した
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