Sunday, June 1, 2014

順服 祈りについて考えること

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主,願祢按照祢最美好的旨意,成就一切。縱然今天我不明白,但我相信,有天,everything will all make sense.

どうしてか分からないけど、その二日の夜あまり寝られなかった。一昨日、日本語を楽しく勉強して、一時ぐらい寝て、五時半ぐらい起きて、胃がちょっと痛くて、心拍数が少し速かった。前に、祖父母によると、お年寄りは寝ることがあまり要らないそうだ。まさか私は年寄になるまい。後で、もう一度寝たけど、ちょっと疲れていた。多分、祖母をまだちょっと心配していると思う。実は、最近、気持ちがもっとよくなったけど、心の中に心配がまだあるでしょう。どういうのは、家族だから。それから、祈りについて考えた。

私たちは、よく、イエスが私たちのお願いを下さるかどうかによって、イエスが信頼できるかどうか決めるけど、そうしたら、祈りの本当の意味じゃないと思う。

祈っている時、神に自分の心配や懸念を持っていって、何かの問題や感情やお願いについて話してももちろんいい。神と私たちは、両親と子供みたいな関係だから。私はいつもいろいろな自分や家族やいい友達についての願いを求める。ただし、最後、イエスが最高な御心を下さると信じることを学ばなければいけない。ぜんぜん易しくないのに、従順を少しずつ学べれば、人生は成長できる。

二ヶ月ぐらい前に、クリスチャンのキャンプで、私はイエスに喘息を治していただいた。それから、運動することや、オレンジを食べることや、普通に呼吸することや全部できる。よく、もしイエスは七年前に、私の喘息を治して下されば、私はその七年間の生活はもっと易しくなれた。いろいろな難しさをまだ覚えている。中学校の六年生の時、学校の雲南の見学に行って、気管支炎があって、一年後、その病気が喘息にだんだんなった。その時、大学受験だったから、とても大変だった。初めてステロイドの薬を飲んで、いろいろな副作用があった。例えば、動悸や手の震えだった。受験を受けていた時、手の震戦の感じは本当に悪かった。だから、もし治すことを早くいただいたら、私の生活はきっと易しくなった。

しかし、七年前に喘息がなかったら、私は性格が変われなかった。前に、挑戦がもちろんあったけど、ただ勉強の挑戦だけだから、あまり大変じゃなかった。それで、私は他の人の難しさや苦境があまり分からなくて、共感できなかった。けれども、喘息があった後で、いくつかの簡単なことでもできなかった。例えば、発作がないように、オレンジを食べてはいけなく、暑い時も、寒い時も、速く歩けなかった。いろいろな制約と大変な発作の中で、他の人の気持ちや難しさが少しずつ分かって、共感がだんだんできた。十二才まで、私は一人っ子だったから、自己中心の問題が多くあった。この数年、よくなったかもしれない。

一番信じられなく素晴らしい奇跡は、多分体の病気の治すことじゃなく、人生の心や態度をよく変えることだと思う。挑戦や困難がまだあるけど、私たちは希望が持って、積極的になれる。そして、祝福になれる。

イエス、嬉しい時も、悲しい時も、元気な時も、大変な時も、一緒に行っていただけませんか?平安や喜びや信仰をいただいたいです。お願いします。アーメン。

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