Wednesday, June 11, 2014

不知所謂的人、地、事  馬鹿げたこと(一)

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總會有些不知所謂的人和事,為別人帶來了很大的麻煩。
總會有些偏執的人,在重要的骨節眼上不做好,卻在一些不需執著的小事上拼死執著。
昨日,應是來到這裡後最生氣、最生氣的一次。
我敢肯定,在那件事上我已做足程序,沒有任何責任,
然而,有些所謂制度與規則,實在是荒誕無比。

事沿於法文班。一早已報名,並已獲得通知我被取錄。可是昨晨卻收到電郵,說我在數週前已退出該課程,如今課程已滿額,無法再取錄我。可是,我從來沒有在口頭或書面上表示想退出,又或申請退出。原本,我真的不介意這事,who care the damn language course? 但問題在於,這是其中一個要求,我們要完成了歐洲語文才可以考第三年的資格試。在數不完的課程要求下,更改一個暑期語文課,對學生的計劃可以帶來很大麻煩。

原來,這荒謬事件要追溯到數週前。當時,嫲嫲身體情況轉差,我遂電郵學系教授,詢問可否提供funding,讓我在香港讀法文。但經過一輪交涉,知道不可能,我遂於同日回覆電郵,表示繼續按原定計劃,在這裡讀法文。後來也再收到回覆,確認對方收到電郵。可是,由於不同parties的溝通問題,行政人員替我退出了該課程,儘管我從來沒有以任何形式表明退出意願,儘管昨天前我沒有收到過任何電郵、信件或電話,告知我已退出。

即使我致電研究院,告知一切原委,他們也只說課程已滿額,無法再增加學生。我說,整件事不是我的責任,只是加一個學生也不行?無辦法,他們說。那只旁聽、不參與任何課堂活動與討論?不行。

這裡的所謂「博雅教育」,就是加諸各種各樣的要求予研究生,有些固然有用,有些卻是「為做而做」。我沒有查證過,但曾聽前輩說,這是一個Ivy League的「傳統」,要求Humanities研究生要讀一種歐洲語文,儘管這與部份研究生的研究完全無關。我真的沒有查證過這說法,但據聞,連哈佛也廢除了這傳統,有些學校卻仍然拼死守護。拼死之餘,學生遇到這樣的困難,卻沒有提供任何幫助。無論如何,這是一件荒誕的事。

這是一個荒誕的地方。

確かに、たくさんの迷惑な人がいて、他の人に迷惑を引き起こす。
何人かの頑固な人、大事なことがよくできなく、小さくてたいせつじゃないことを頑固に主張する。
昨日、私はここに着いたから、初めにそんなに怒った。
そのことは、私が間違いと責任がないけど、
いくつかの制度や規制は、本当にばかげた。

これはフランス語のクラスについてのことだ。先月、大学院にアドミッションの確認のメールをもらった。けれども、昨日の朝、大学院はメールを送って、そのメールは、ラウさんは数週前にフランス語のプログラムを辞めたから、今、そのクラスがいっぱいので、もう一度登録が無理だと私に言った。しかし、私は辞めるのを全然申し込まなかった。そして、辞めるについてのメールを全然もらわなかった。

実は、先月、おばあさんの病気が大変になった時、私は学部の教授に香港でフランス語を勉強してもいいかと聞いた。教授は他のクラスをとったら、プリンストンのフランス語の試験を多分合格できないと教えたから、私は、同じ日、当初の計画を決めて、教授に返信を書いた。どうしてか分からないけど、学部の通信は問題があったかもしれなく、だれか私に代わって、そのプログラムを辞めた。

私は大学院に電話をして、全部の誤解や事実や難しさについて教えたが、クラスをとってはいけなく、auditもだめ。そんな馬鹿のヨーロッパの言語についての要件があるけど、学生の間違いじゃない問題があった時、助けをくれなく、ぜんぜん役に立たないでしょう。

卒業ができるように、大学院生はいろいろな要求果たさなければいけなくて、スケジュールがいつもいっぱいから、この突然の不合理な変更は学生に困ることになった。実は、いくつかの要求がもちろん有用だけど、他の要求の意味がぜんぜん分からない。

そんなにうるさいところがある。そんなにうるさい人もいる。

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