Thursday, June 5, 2014

生命功課  おばあさんについて考えること

(scroll down for JPN version)
上星期禱告時,有一個很深刻的領受:
我們或許知道自己想要甚麼,卻永遠不知道真的需要甚麼。唯有祂知道。有些人生功課或許還未知道背後的意義,但走著走著,我相信,會慢慢看得見。況且,人生的路徑從來就是交織在一起。或許今天的功課,就是要在明天造就他人。

這陣子,收到一些朋友的慰問,也分享著自己的相似經歴,成為了我的鼓勵。

昨日、おばさんと電話で話した。おばさんはおばあさんがなくなった後で悲しすぎて、目がすごく腫れていて、私はちょっと心配だ。

おばさんに、おばあさんの最後の大変な健康の問題を聞いたけど、前に、両親は私を心配だったから、いくつかの細部を言わなかった。今回聞いて、おばあさんが天国に行くのは、ぜんぜん悪いことじゃないと思う。

けれども、私はおばあさんが死んだということの意味がちょっと分からない。その晩、家族におばあさんのことを聞いて、私は孫だから、悲しくなければならないけど、その時、自分の感情がぜんぜん分からなかった。もちろん、生物学の定義が分かったけど、私たちの生活への意味は何?私は留学しているから、この半年おばあさんとあまり会えなくて、おばあさんがなくなった後でも、会えない。この考えることはとても変だが、その距離感は本当に不確実だと思う。

ゆっくり考えた後で、だんだん分かった。

これから、
私はおばあさんを呼んだら、だれも答えない。
おばあさんに電話をしても、だれも答えない。
おばあさんに触れられない。
だれもおばあさんの声で私の名前を呼ばない。
一緒にご飯を食べたり、写真をとったりしたくても、無理だ。
前の思い出が歴史になって、一緒に新しい経験がもうできなかった

しかし、下の意味もある。
おばあさんは、今から、天国にイエスといる。
病気も痛みも、健康の問題が何もない。
或る日、私たちは永遠に会える。
その日、おばあさんは私たちの天国のツアーガイドになれるかもしれない。
その前に、私は頑張って、おばあさんに私を誇りにさせる。
誇りの理由は私の学歴じゃなく、私がどんな人になることだ。
おばあさんのために、元気に生きる。

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