Sunday, October 12, 2014

一番大切なこと


夏休みに香港にいた時、教会の信心深いおばさんと話したが、おばさんは「クリスちゃんは勉強が上手だし、アメリカに行った後で、信仰の霊感や反省がたくさんあるし、いろいろな人生の経験を通ったし、性格が柔らかくなったが、もし将来私たちの教会のリーダーになるといいでしょう。私たちは知識人が要ると思うよ。」って私に教えた。

確かに、私たちの教会は小さいし、学歴が高い人があまりいない。私は頭がよくないし、才能があまりないけど、教会は私が要ることがあるなら、私は貢献してみたい。とにかく、そのコミュニティーにサポートや励ましをいっぱいもらって、それは、私の信仰のうちだ。

そして、私にいつもたくさん教えてくれたおばさんは、「私は、今まだ、心からクリスちゃんと話せるから、変わらない前に、もっと話した方がいいね。」って言った。というのは、過去の経験で、人々は前に優しくても、権力を持った後で、何らかの理由だから、性格が変わって、自慢して、より謙遜になる。つまり、もし私はリーダーになったら、心からの提案や教えることをあまり聞けるという可能性がある。

私は歴史の学生だから、歴史を読んで、おばさんが言った可能性がずっとあると分かった。権力と能力を持っている人たちは、人々を仕えるはずなのに、現実はしばしば違った。だから、聞いて心配だ。もし、傲然な人になっちゃったら、どうしようか全然分からない。そして、もし、私を大切にする教会の友達の気持ちは私に傷つけられたら、本当に悪い。 

突然、J牧師のご夫婦を思い出した。ご夫婦はプリンストンで一つの留学生のためのミニストリーの担当者、J牧師の奥さんのAさんは、私のここの信仰のメンターだ。ご夫婦は、三十年前に、プリンストンの神学校で勉強してから、この町に泊まって、神様を仕えし、留学生をサーブして来る。ミニストリーの担当者だけど、ご夫婦はいつもとても謙遜だ。先月、私はプリンストンに来た後で、去年の寮の貯蔵所にあるたくさんの荷物を新しい寮に取らなきゃいけないが、J牧師は七十歳のお年寄りだけど、私の重い荷物を持って、私と荷物を新しい寮に運転してくれた。これは、牧師の義務じゃない。そして、J牧師は、「クリスさんを手伝えて、うれしい。」って言った。私は本当に感動だった。


 

キリスト教の使命やミニストリーに言及して、思うに、ミニストリーはいかに十分に計画しても、いかに大きくても、いかに華やかでも、愛なしに、意味が全然ないと信じている。

イエスの生活を思うに、説教だけじゃなく、群衆に入ったし、人間を大切にしたし、人々の本心を了解したし、最後、私たちのために、十字架で自分のいのちを犠牲した。その「おかしい」人は自分のいのちで、愛が何か教えた。愛はただ言葉じゃなく、その代わりに、心から気にかかることだの、アクションだのことだ。

「わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない[と神様が教えた]。」(旧約聖書 ホセア書 6:6) 

たとえ、人々言、天使たち言をろうとも、がなければ、わたしはがしいどら、やかましいシンバル。たとえ、言する物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知に通じていようとも、たとえ、山をかすほど完全な信仰を持っていようとも、がなければ、に等しい。全財産しい人々ために使い尽くそうとも、ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、がなければ、わたしに何益もない。」(新約聖書 コリント信徒へ 13:1-3


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