Monday, May 26, 2014

這路(一) この道路(一)

(Scroll down for Japanese version)
昨夜,睡得矇矓之際,收到從小組與家人傳來的短訊,告知我醫生早上來電,嫲嫲的腎衰竭與肺炎問題嚴重,餘下壽命可能以「週」來計算。看畢,我完全不 懂怎樣反應過來。一直都知道嫲嫲的情況不樂觀,但這刻收到這樣的消息,還是需時消化、接受。我的情緒陷入真空狀態,我感受不到一絲情緒,只感到很累。這是 我一路以來的性格,我要時間去尋回內心的感受。

心裡禱告著:耶穌,有時我真的很不想順服。祢既然醫治了我的哮喘,為何不可多延長她的壽命,哪怕只是三個月,讓我趕得及回來?不過,從對聖經的認知,並過往,特別是這一年的經歴,我知道祢會施行最美好的旨意。雖然不想順服,但我選擇順服。我需要祢,我們都需要祢。

一個不太禮貌的禱告,但我知道祂在聆聽。後來,不知為何,連燈也沒關掉,就這樣睡著了。這個休息,我相信是上帝的恩典。

今 早醒來,看到手機的一堆短訊,是家人與教會好友傳來的禱文與安慰。終於,眼淚斷斷續續的流下。那是百感交雜的眼淚,一來很難過、很痛,很不想回憶起過往與 嫲嫲一起的經歴。但二來,短訊中的每一字一句也教我很感動,縱然有著地域隔閡,但我卻深深感受到家人與弟兄姊妹那份愛。

看著家人快要安息主懷,而自己卻無法陪伴在側的感覺並不好受,每一滴淚水也乘載、流露著那種痛。坦白說,之前在視像通話看到嫲嫲如此辛苦,我曾想過,或許天父早點釋去她的勞苦,也是一件好事。但當然,到真要去接受的時刻,還是會掙扎,還是不容易。

但我知道,尋回、釋放自己的情緒,是醫治的第一步。經歴過流淚谷,走過掙扎、傷痛與那種對人生的無奈,才能得見喜樂的泉源,才能體會到,從上帝而來的盼望是何等真實。

請 各位不用擔心。如果說我現在已痊癒,那肯定是在騙你。但在日常生活層面上,我會照顧好自己,如常飲食、作息。現在是學期末,我在這裡能交心的友好要麼已回 家,要麼還在寫功課,有時的確有點孤單感。但我知道,你們一直在陪伴我,以禱告與愛烘托著我。曾經想過,為何這麼麻煩,就算人在外國,也令家人與弟兄姊妹 如此擔心。但我漸漸明白,這就是上帝賜予我們弟兄姊妹的心意,一同走過歡笑與悲傷。透過分享與禱告,我們是在分享彼此的生命,作互為承擔的肢體。

靠著祂,伴隨著你們,我知道,我會走過的。對於你們的牽繫與一切對我並我家人的付出,心裡無言感激。

請與我一起盼望,將來,今天的淚水會化為生命的祝福。

(一個不易走過的早上。但,在這個資訊真假難辯的時代,如果我可以在「耶穌很愛我以至於為我釘身十架」的事實外,再肯定兩項事實,那將會是:

1)我的家人很愛我
2)在香港的教會,我有著一班好得無法言喻的生命同行者與守望者

謝謝你們。我不敢想像,沒有你們的支持與禱告,這段時間會變得何等難過。有著你們同行,是上帝莫大的祝福與恩典。)




昨日の夜、家族にメールをもらった。医者は、病院に入院している祖母は健康の問題が大変になって、寿命の残りは多分数週間ぐらいと言った。その時、私はぜんぜん話せなくて、自分の情緒がぜんぜんなさそうで、ぜんぜん分からなかった。疲れている気持ちだけ感じた。前に、祖母の大変な状態が分かったけど、そんなことを聞いて、受け入れるために、また時間がかかる。実は、私の性格はとても変だ。何人かの人は悲しいことを聞いて、すぐ泣けるけど、私は、毎回、悲しいことがあった後で、心で不快感があることを知ったけど、情緒がぜんぜん感じられない。しばらくして、だんだん分かった。

そして、イエスに、「私は本当に従いたくない。前に、イエスは私の喘息を治したが、どうして祖母を治さない?三ヶ月でもいい。それから、私は香港に帰って祖母を会える。けれども、聖書についての知識と自分の経験、特に、今学年の経験から、イエスが最高のご意志を下さると分かったから、従いたくないけど、イエスに従おう」と祈った。後で、どうしてか分からないが、言い表せなく疲れていたから、電気が開いていたけど、私は寝た。大変な時にまた寝られることが、ご加護と信じる。

今朝、携帯電話を見て、家族と香港の教会のいい友達に祈りや慰めるメールをたくさんもらった。親友はクリスちゃんをとても心配で、何かの気持ちについて話したかったら、私たちに電話しても、メール書いても、一緒に泣いてもよくて、私たちはいつも一緒だんだと書いた。そして、私と一番いい親友は、前の分からなかった気持ちと配慮を多く話せた。私は外国にいるけど、香港の家族と親友を心配させて、ごめんなさい。

最終的には、涙が流れられた。理由が二つあるかもしれない。一つは、もちろん悲しくて、心が痛かったからだ。子供の時に、祖母と一緒の生活の思い出をあまり覚えていたくなかった。もう一つは、いろいろなメールを見たり、録音を聞いたりした時、私は心が本当に感動だった。私たちがいる地域はとても遠いのに、家族と教会の親友からの愛と支えを誠に感じられた。

確かに、家族がしにかかる時、うちに帰れないことは悲しくて憂い。実は、前に、祖母が大変に呼吸したことを見た時、私はそぼが早く天国に行って、イエスと一緒にいたら、病気や悲しみがないから、悪いことじゃないと思ったけど、そのニュースを聞いて、ぜんぜん易しくなくて、まだ悲しく感じた。でも、涙に哀しみを乗せたのに、情緒の探すことと解放は、治癒をいただくことの第一歩だと分かった。悲哀が渡されて、喜びの泉を見たり、イエスからの約束が本当にあると信じたり出来る。

みな、私を心配しないで。もちろん、もし、今私が完全に治ったと言ったら、これは嘘だ。ところが、日常生活で、私は自分を大切にしよう。いつものように、食べたり、休んだりしよう。今、学期が終わったから、ここの心から話せるいい友達は、何人かはもう家に帰って、何人かはまだレポートを書いている。よく、ちょっと寂しく感じるけど、香港の家族と教会の親友が、愛と祈りで私を支えていると分かった。どうして親友がそんないいかまだ分からない。前に、家族と教会の親友を心配させたから、自分はうるさいと思ったけど、その考えをだんだん変えた。いい友達は、嬉しい時も、悲しい時も、一緒に行ける人生の仲間がいるために、イエスに下さるご加護だと思う。話すことと、祈りで、私たちは自分の生活と人生を分担する。

イエスに下さるご加護と、香港の家族と親友の支えで、私はその悲しみをだんだん渡せる。信じて。みなが愛と励ましをくれて、何から何までありがとうございました。

一緒に願って、今日の涙は、将来、人生の祝福になれる。

(幸せにも、私は書くことが大好きで、自分の考えと気持ちについて書いた後で、平穏になれる。書くことは、ピアノの鍵のような紙かコンピュータのキーボードで、きれいな旋律みたいな人生のストーリを書いたと思う。)


 

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