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昨夜,睡得矇矓之際,收到從小組與家人傳來的短訊,告知我醫生早上來電,嫲嫲的腎衰竭與肺炎問題嚴重,餘下壽命可能以「週」來計算。看畢,我完全不
懂怎樣反應過來。一直都知道嫲嫲的情況不樂觀,但這刻收到這樣的消息,還是需時消化、接受。我的情緒陷入真空狀態,我感受不到一絲情緒,只感到很累。這是
我一路以來的性格,我要時間去尋回內心的感受。
心裡禱告著:耶穌,有時我真的很不想順服。祢既然醫治了我的哮喘,為何不可多延長她的壽命,哪怕只是三個月,讓我趕得及回來?不過,從對聖經的認知,並過往,特別是這一年的經歴,我知道祢會施行最美好的旨意。雖然不想順服,但我選擇順服。我需要祢,我們都需要祢。
一個不太禮貌的禱告,但我知道祂在聆聽。後來,不知為何,連燈也沒關掉,就這樣睡著了。這個休息,我相信是上帝的恩典。
今
早醒來,看到手機的一堆短訊,是家人與教會好友傳來的禱文與安慰。終於,眼淚斷斷續續的流下。那是百感交雜的眼淚,一來很難過、很痛,很不想回憶起過往與
嫲嫲一起的經歴。但二來,短訊中的每一字一句也教我很感動,縱然有著地域隔閡,但我卻深深感受到家人與弟兄姊妹那份愛。
看著家人快要安息主懷,而自己卻無法陪伴在側的感覺並不好受,每一滴淚水也乘載、流露著那種痛。坦白說,之前在視像通話看到嫲嫲如此辛苦,我曾想過,或許天父早點釋去她的勞苦,也是一件好事。但當然,到真要去接受的時刻,還是會掙扎,還是不容易。
但我知道,尋回、釋放自己的情緒,是醫治的第一步。經歴過流淚谷,走過掙扎、傷痛與那種對人生的無奈,才能得見喜樂的泉源,才能體會到,從上帝而來的盼望是何等真實。
請
各位不用擔心。如果說我現在已痊癒,那肯定是在騙你。但在日常生活層面上,我會照顧好自己,如常飲食、作息。現在是學期末,我在這裡能交心的友好要麼已回
家,要麼還在寫功課,有時的確有點孤單感。但我知道,你們一直在陪伴我,以禱告與愛烘托著我。曾經想過,為何這麼麻煩,就算人在外國,也令家人與弟兄姊妹
如此擔心。但我漸漸明白,這就是上帝賜予我們弟兄姊妹的心意,一同走過歡笑與悲傷。透過分享與禱告,我們是在分享彼此的生命,作互為承擔的肢體。
靠著祂,伴隨著你們,我知道,我會走過的。對於你們的牽繫與一切對我並我家人的付出,心裡無言感激。
請與我一起盼望,將來,今天的淚水會化為生命的祝福。
(
一個不易走過的早上。但,在這個資訊真假難辯的時代,如果我可以 在「耶穌很愛我以至於為我釘身十架」的事實外,再肯定兩項事實, 那將會是: 1)我的家人很愛我 2)在香港的教會,我有著一班好得無法言喻的生命同行者與守望者 。 謝謝你們。我不敢想像,沒有你們的支持與禱告,這段時間會變得何 等難過。有著你們同行,是上帝莫大的祝福與恩典。)
昨日の夜、家族にメールをもらった。医者は、病院に入院している 祖母は健康の問題が大変になって、寿命の残りは多分数週間 ぐらいと言った。その時、私はぜんぜん話せなくて、自分の情緒が ぜんぜんなさそうで、ぜんぜん分からなかった。疲れている気持ち だけ感じた。前に、祖母の大変な状態が分かったけど、そんなこと を聞いて、受け入れるために、また時間がかかる。実は、私の性格 はとても変だ。何人かの人は悲しいことを聞いて、すぐ泣けるけど、私は、毎回、悲しいことがあった後で、 心で不快感があることを知ったけど、情緒がぜんぜん感じられない 。しばらくして、だんだん分かった。 そして、イエスに、「私は本当に従いたくない。前に、イエスは私 の喘息を治したが、どうして祖母を治さない?三ヶ月でもいい。そ れから、私は香港に帰って祖母を会える。けれども、聖書について の知識と自分の経験、特に、今学年の経験から、イエスが最高のご 意志を下さると分かったから、従いたくないけど、イエスに従おう 」と祈った。後で、どうしてか分からないが、言い表せなく疲れて いたから、電気が開いていたけど、私は寝た。大変な時にまた寝ら れることが、ご加護と信じる。 今朝、携帯電話を見て、家族と香港の教会のいい友達に祈りや慰め るメールをたくさんもらった。親友はクリスちゃんをとても心配で 、何かの気持ちについて話したかったら、私たちに電話しても、メ ール書いても、一緒に泣いてもよくて、私たちはいつも一緒だんだ と書いた。そして、私と一番いい親友は、前の分からなかった気持 ちと配慮を多く話せた。私は外国にいるけど、香港の家族と親友を 心配させて、ごめんなさい。 最終的には、涙が流れられた。理由が二つあるかもしれない。一つ は、もちろん悲しくて、心が痛かったからだ。子供の時に、祖母と 一緒の生活の思い出をあまり覚えていたくなかった。もう一つは、 いろいろなメールを見たり、録音を聞いたりした時、私は心が本当 に感動だった。私たちがいる地域はとても遠いのに、家族と教会の 親友からの愛と支えを誠に感じられた。 確かに、家族がしにかかる時、うちに帰れないことは悲しくて憂い 。実は、前に、祖母が大変に呼吸したことを見た時、私はそぼが早 く天国に行って、イエスと一緒にいたら、病気や悲しみがない から、悪いことじゃないと思ったけど、そのニュースを聞いて、ぜ んぜん易しくなくて、まだ悲しく感じた。でも、涙に哀しみを乗せ たのに、情緒の探すことと解放は、治癒をいただくことの第一歩だ と分かった。悲哀が渡されて、喜びの泉を見たり、イエスからの約束 が本当にあると信じたり出来る。 みな、私を心配しないで。もちろん、もし、今私が完全に治ったと 言ったら、これは嘘だ。ところが、日常生活で、私は自分を大切に しよう。いつものように、食べたり、休んだりしよう。今、学期が 終わったから、ここの心から話せるいい友達は、何人かはもう家に 帰って、何人かはまだレポートを書いている。よく、ちょっと寂し く感じるけど、香港の家族と教会の親友が、愛と祈りで私を支えて いると分かった。どうして親友がそんないいかまだ分からない。前 に、家族と教会の親友を心配させたから、自分はうるさいと思った けど、その考えをだんだん変えた。いい友達は、嬉しい時も、悲し い時も、一緒に行ける人生の仲間がいるために、イエスに下さるご 加護だと思う。話すことと、祈りで、私たちは自分の生活と人生を 分担する。 イエスに下さるご加護と、香港の家族と親友の支えで、私はその悲 しみをだんだん渡せる。信じて。みなが愛と励ましをくれて、何か ら何までありがとうございました。 一緒に願って、今日の涙は、将来、人生の祝福になれる。 (幸せにも、私は書くことが大好きで、自分の考えと気持ちについ て書いた後で、平穏になれる。書くことは、ピアノの鍵のような紙 かコンピュータのキーボードで、きれいな旋律みたいな人生のスト ーリを書いたと思う。)
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