Wednesday, April 9, 2014

「學」與「教」 了解から、理解まで

深深體會到,懂得讀書並不等如懂得教書的無力感。Fanny問我有關中史的論文題改正,我總是無法簡單直接的指出問題、給予意見。一來我不敢肯定新課程的評分準則;二來,well,我也不知道為什麼。只能道,正如老師所言,「學」與「教」真的完全不同。如果我成了中學老師,也肯定是「誤人子弟」類的。

碰到有心、用心而又懂得教學、提升學生興趣的老師,真的要好好珍惜。就如我的日文老師。這些老師往往可遇不可求。


今日、香港に住んでいるおばさんに電話をかけだ。最近、そのおばさんは、お祖母ちゃんが老人ホームに住むことに決めたから、今、お祖母ちゃんはおばさんの家にいない。最初、私はその決定が嫌いで、おばさんが少し無責任だと思った。

でも、今日の会話の後に、思いが変わった。誤解を解けるように、本心からの対話が本当に大切だ。了解から、理解まで、関係を修復できる。おばさんは、お祖母ちゃんが老人ホームに入ったの日に泣いて、心にストラッグルと悲しみがたくさんあったって言った。

実は、各人は難しさがあると思う。健康の問題だから、お祖母ちゃんはあまり歩けない。前に、おばさんはお祖母ちゃんを世話が難しくて大変そうだった。

それで、その老人ホームはよさそうだよ。おばあさんによると、そこの看護師たちは優しくて役立って、同じフロアに住んでいる年寄の「仲間」は親切で心が強いそうだ。そこに住んでいることが一週間だけ、でも、たくさんの興味深い 方がいって、面白いことがあるよ。九十歳の「仲間」が一人、おばさんに、「私はお母さんのボディーガードだよ!お母さんが寝なかった時に、私も寝ない。お母さんを世話するから!」って言った。はは、本当に優しくて面白い年寄の方!

お祖母ちゃんがおばさんの家にいた時に、おばさんが忙しかったから、あまり話せなかった。なれども、今、ほぼ同じ年齢の「仲間」がたくさんいるから、お祖母ちゃんは、その方たちに話すことが楽しむと思う。悪いことじゃないね。

どうしてか分からないけど、老人ホームは幼稚園と同じと思う。両方の場所に面白い人が多いいる。年寄の人も幼稚園の学生も離れてなることを学んで、家族じゃない仲間に依存が要る。違う思いやコンフリクトが多分たくさんあるけど、友だちになることを学ぶ。そして、年寄の人も小さい学生も、心意がもう簡単で無邪気かもしれない。

ああ、人生の最初は人生の最後とかなり同じかな。

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